戯言シアター#13 『ジョーカー』

Movie culture
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私たちはだれしも、社会の中で無数の「仮面」を使い分けて生きています。

職場で見せる愛想笑い、大切な人の前で演じる優しい自分、そして、理不尽な現実に耐えるための「平気なフリ」。誰もが傷つかないよう、あるいは他者を傷つけないように、心の本音を仮面の下に隠し、懸命に「まともな日常」を維持しているはずです。

しかし、もしその仮面をこれ以上維持できないほど、容赦のない悪意や孤独があなたを襲ったらどうなるでしょうか。

必死に社会にしがみつき、愛されたいと願い、仮面を張り付け続けた一人の男がいました。どれだけ踏みにじられても、彼は無理やり口角を上げ、歪んだ作り笑いで必死に耐え忍んでいました。ですが、社会が彼に与え続けたのは、冷酷な無視と残酷な拒絶だけ。

限界を迎えたその時、男は仮面の下の本音を隠すことをやめました。いや、むしろ「悲劇の仮面」を脱ぎ捨て、「狂気の素顔」を晒すことを選んだのです。

すべてを諦め、自分を追い詰めた世界をあざ笑うかのように、真っ赤な衣装をまとって軽やかに踊り出す。その姿は恐ろしくも、どこか解放されたかのように美しく見えてしまいます。

今回は、誰の心の中にも潜んでいるかもしれない「仮面の限界線」と、そこから引き返せなくなった男がたどり着いた、歪んだ救済の物語に迫ります。

戯言シアターへようこそ 案内人のサミっつーと申します。

本日は笑顔の裏に隠された誰もが持つ狂気、『ジョーカー』について語っていこうと思います。


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映画概要

基本情報

作品名ジョーカー
公開日2019年10月4日
キャストホアキン・フェニックス
ロバート・デ・ニーロ
ザジー・ビーツ
フランセス・コンロイ
監督トッド・フィリップス
エンドクレジット「that’s Life」
「Send In The Clowns」フランク・シナトラ
ジャンルサイコスリラー
上映時間122分

あらすじ

「どんな時も笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸にコメディアンを夢見る、孤独だが心優しいアーサー。
都会の片隅でピエロメイクの大道芸人をしながら母を助け、同じアパートに住むソフィーにひそかな行為を抱いている。
笑いのある人生は素晴らしいと信じ、ドン底から抜け出そうともがくアーサーはなぜ狂気あふれる〈悪のカリスマ〉ジョーカーに変貌したのか?
切なくも衝撃の事実が明かされる!

映画『ジョーカー』ブルーレイ&DVDリリースより引用

予告映像

出典:映画『ジョーカー』本予告【HD】2019年10月4日(金)公開(YouTube「」)
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感想&考察

感想

本作を観終わったあとに押し寄せるのは、単なる悪の誕生を見届けたという興奮ではなく、言葉にできないほど重く、そして不気味な余韻です。

この映画の凄みは、主人公アーサー・フレックが「ジョーカー」という狂気の存在へと変貌していく、その感情のグラデーションの見事さにあります。

テレビ番組は、単なる「最後の一押し」に過ぎない

物語の終盤、テレビ番組への出演をきっかけに、アーサーの変貌は決定決定的なものになります。しかし、じっくりと彼の足跡を辿っていくと、あの事件は引き金(きっかけ)の一つに過ぎなかったことに気づかされます。

アーサーの中には、最初からずっと、いつ壊れてもおかしくない「危うさ」が常に漂っていました。 彼がジョーカーへと堕ちていく理由は、あの街のいたるところに、それ以前から数え切れないほど転がっていたのです。

  • 絶え間ない貧困と、病への苦しみ
  • 親しいと信じていた人々からの裏切り
  • 社会や通りすがりの人々から受ける、容赦のない悪意と徹底的な無視

「いつ、どのタイミングで怪物になってもおかしくなかった」 それほどまでに、彼が闇に落ちるための『十分すぎる理由』が、彼の人生にはあらかじめ満ち満ちていました。特定の誰かが彼を壊したのではない。社会全体が、じわじわと彼を追い詰めていったという事実こそが、本作の持つ何よりの不気味さであり、恐怖の本質なのだと感じます。

悪を「演じる」という、エンターテイナーの生き様

そして最も興味深いのは、ジョーカーとなった彼の振る舞いです。 終盤の彼は確かに恐ろしい悪行に手を染めていきますが、その一挙手一投足は、どこか「悪役という役柄」をノリノリで演じているようにも見えます。

彼が劇中で何度も見せるステップやダンス、カメラを意識したようなポーズ。その根っこにあるのは、紛れもなく彼がずっと憧れ、夢見ていた「コメディアン」であり「エンターテイナー」としてのプライベートな衝動ではないでしょうか。

彼は世界を恐怖に陥れたかったわけでも、政治的な革命を起こしたかったわけでもない。 ただ「自分の存在を誰かに認めてほしかった」「自分という存在で、世界を沸かせてみたかった」だけなのかもしれません。

歪んだ救済と、最高の「喜劇」

映画のラスト、混沌に包まれる街の中心で拍手を浴びる彼の姿は、客観的に見れば最悪のバッドエンドです。しかし、アーサー自身の視点に立ってみると、彼は人生で初めて「スポットライトを浴び、大衆の視線を独占する」という、彼自身がずっとやりたかったことを完璧に達成した瞬間のようにも映ります。

「自分の人生は悲劇だと思っていたが、実は喜劇だった」

その言葉通り、彼は自分を虐げてきた冷酷な世界を最高のジョークで包み込み、自ら作り上げた最高のステージの上で、本物の笑顔を手に入れたのです。だからこそ、あのラストシーンは恐ろしく、同時に不気味なほど美しく、観る者の心を激しく揺さぶるのだと思います。

小ネタ

劇中のすべての時計が「11時11分」を指している怪奇

アーサーがカウンセリングを受けている部屋の時計、精神病院の回想シーン、そして彼が叩き落とすタイムレコーダーにいたるまで、作中に登場する時計のほとんどが「11時11分」を指して止まっています

これは時間の経過が一切ないことを示唆しており、映画ファンや考察サイトの間では「この物語の出来事は、すべてアーサーの脳内で起きた『妄想』なのではないか」という最大の謎を呼ぶトリビアとなっています。

名シーン「公衆便所でのダンス」はホアキンのアドリブだった

地下鉄での事件の後、アーサーが薄暗い公衆便所に駆け込んで不気味かつ優雅に踊る、作中屈指の名シーン。

実は脚本の段階では、「アーサーがパニックになって銃を隠し、鏡の前で自問自答する」という全く別の静かなシーンでした。しかし、監督と主演のホアキン・フェニックスが「アーサーの心境は言葉ではなく動きで表現すべきだ」と判断し、撮影前日に届いたばかりの劇伴音楽を現場で流しながら、ホアキンがその場で即興で踊ったアドリブがそのまま採用されました。

コメディクラブ「Pogo’s」の恐ろしい由来

アーサーがスタンドアップコメディの舞台に立つクラブの名称は「Pogo’s(ポゴズ)」です。 これは単なる架空の名称ではなく、実在したアメリカの悪名高いシリアルキラー、ジョン・ウェイン・ゲーシーから名付けられています。彼は普段、「ポゴ」という名のピエロに変装して子どもたちを楽しませる慈善活動を行っていた裏で、数多くの殺人事件を起こした「殺人ピエロ」のモデルとなった人物です。アーサーという男の行く末を暗示するような、ゾッとする演出です。

考察

映画『ジョーカー』を観終わった多くの人が抱く、一つの巨大な疑問があります。 それは、「私たちがスクリーンで観ていた物語は、どこまでが現実で、どこからがアーサーの妄想だったのか?」という謎です。

作中には、観客を欺くための巧妙なヒントがいくつも散りばめられています。今回は、劇中の描写や小ネタをベースに、アーサーの歪んだ精神世界が作り出した「現実と妄想の境界線」を徹底的に考察していきます。

すべては「脳内の出来事」だった? 時計が示す不気味な伏線

本作の謎を解く上で、決して見落としてはならない重要な小ネタ(トリビア)があります。それは、劇中に登場する「時計」の針が、ことごとく【11時11分】で止まっているという点です。

冒頭のカウンセリング室の時計、中盤の精神病院の回想シーン、そしてアーサーがタイムカードの機械を叩き落とす場面。どれだけ物語が進んでも、画面に映る時計は頑なに「11時11分」から動きません。

この奇妙な共通点が意味するものは何か。それは、「この映画の物語は、最初から最後まで、精神病院の白い部屋に閉じ込められたアーサーが脳内で再生していた『一瞬の妄想』に過ぎないのではないか」という説です。時間の経過が存在しない世界。それこそが、彼の脳内世界であることの何よりの証拠なのかもしれません。

妄想は「テレビ番組の以前」から始まっていた

物語の終盤、アーサーの憧れの女性・ソフィーとの関係が「すべてアーサーの都合のいい妄想だった」という衝撃の事実が明かされます。この部屋のシーンをきっかけに、観客は「彼の見ている世界」への信頼を完全に失うことになります。

ここで重要なのは、「妄想のトリガー(引き金)になったのは、決して終盤のテレビ出演や大事件ではない」ということです。

アーサーは、物語の最初期(ソフィーと出会った瞬間、あるいはそれ以前)から、すでに現実と妄想の区別がつかなくなっていました。彼は最初からずっと、いつ崩壊してもおかしくない危うさを抱えて生きていたのです。 テレビ番組への出演は、決して彼を狂わせた原因ではなく、すでに破綻していた彼の脳内世界が「外側へ溢れ出したきっかけ」に過ぎないと言えます。

アーサーにとっての「十分すぎる理由」と世界の不気味さ

もし、あのソフィーとの幸せな時間がすべて妄想だったのだとしたら、彼が経験した「悲惨な出来事」のどこまでが現実だったのでしょうか。

  • ストリートの若者たちからの無慈悲な暴行
  • 同僚からの裏切りと、理不尽な解雇
  • 実の母親が隠していた、凄惨な過去の真実

これらすべてが現実だったのか、それとも彼が「ジョーカーという怪物」になるために、彼の脳内が都合よく作り上げた『悲劇の言い訳』だったのか。

この映画の本当の不気味さはここにあります。彼が狂気へと走るための「十分すぎる理由」が、あの街にはあらかじめ満ち満ちていた。だからこそ、観客は「可哀想な男の現実」に同情しているつもりが、いつの間にか「ジョーカーが仕掛けた巨大な妄想の迷宮」に引きずり込まれてしまうのです。

悪を演じるエンターテイナーが手に入れた「最高の結末」

映画のラスト、暴徒化した群衆に囲まれ、パトカーのボンネットの上で真っ赤なスーツを着て踊るジョーカーの姿は、あまりにも劇的で、まるで映画のワンシーンのように完璧すぎます。

これもまた、彼の「最後の妄想」だったのではないでしょうか。

アーサーの根っこにあるのは、犯罪者や革命家ではなく、純粋に「誰かを笑わせたい、認められたい」と願ったコメディアンであり、エンターテイナーです。 彼は、自分を無視し続けた世界を舞台(ステージ)に変え、「悪のカリスマ」という最高に刺激的な役柄をノリノリで演じてみせたのです。

パトカーの上で拍手を浴びるあの瞬間、客観的な現実はどうあれ、アーサーの脳内においては「人生で初めてスポットライトを独占し、ずっとやりたかったことを完璧に達成した瞬間」だったに違いありません。

あなたの見た『ジョーカー』はどちらの物語か

本作のラストシーン、白い精神病院の部屋でカウンセラーに「ジョークを思いついた」と笑うアーサー。彼が思い浮かべたのは、パトカーの上で民衆に崇められる自分の姿(妄想)だったのか、それとも、これまでの物語すべてが彼の壮大なジョークだったのか。

彼が「自分の人生は悲劇ではなく、喜劇だ」と気づいた瞬間、現実と妄想の境界線は何の意味も持たなくなりました。

すべてを笑い飛ばすジョーカーの素顔を観たとき、私たち観客もまた、彼の最高に不気味な「喜劇」の観客の一人にされてしまっているのかもしれません。

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作品をより楽しむために

本来は「バットマンの最凶のライバル」であるという前提

本作の主人公ジョーカーは、本来であればヒーロー『バットマン』の前に立ち塞がる、コミック界で最も有名な「悪のカリスマ(ヴィラン)」です。

原作やこれまでの映画では、彼は最初から「正体不明の完成された悪」として描かれ、理不尽な混沌を街にもたらす存在でした。 この本来のキャラクター性を頭に入れておくことで、本作が描く「最初から悪だったわけではない、ただの心優しい男の転落劇」というアプローチが、いかに新しく、そしていかに切ないものであるかがより深く胸に刺さるようになります。

名作映画『タクシードライバー』『キング・オブ・コメディ』へのリスペクト

映画ファンをニヤリとさせたのが、1970〜80年代の不朽の名作映画へのオマージュです。本作は、巨匠マーティン・スコセッシ監督の2つの代表作から非常に強い影響を受けています。

  • 『タクシードライバー』(1976年): 都会の孤独に蝕まれた男が、狂気に走り、やがて歪んだ形で世間に注目されていく物語。
  • 『キング・オブ・コメディ』(1983年): 一流コメディアンに憧れる妄想癖のある男が、過激な行動に出るサスペンス。

面白いことに、この2作品で主演を務めた名優ロバート・デ・ニーロが、映画『ジョーカー』でも重要なテレビ司会者役として出演しています。このキャスティング自体が、映画界における壮大なオマージュとなっているのです。

「どこまでが現実で、どこからが妄想か」という視点を持つ

これから映画を観る際、ぜひ頭の片隅に置いてほしいのが「アーサー(主人公)が見ている世界は、本当に現実なのだろうか?」という疑いの視点です。

劇中では、彼の悲しい日常がこれでもかとリアルに描かれますが、実は「彼が主観で見ている世界」と「冷酷な客観的事実」の境界線が非常にあいまいです。鑑賞中、ちょっとした違和感や、できすぎた展開に気づいたとき、すでにあなたもジョーカーの張り巡らせた「迷宮」に迷い込んでいるかもしれません。

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参考文献

ジョーカー (映画) – Wikipedia

映画『ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ』オフィシャルサイト。3.5 ブルーレイ&DVD/4K UHDリリース!デジタル好評配信中!

トリビア&BD特典から探る『ジョーカー』悪のカリスマ誕生の裏側|最新の映画ニュースならMOVIE WALKER PRESS

「ジョーカー」 ネタバレ徹底解説その1 妄想と現実の謎を検証 | MOJIの映画レビュー

ジョーカー (2019):映画短評|シネマトゥデイ

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