みなさんこんにちは、サミっつーです!
今回取り上げるのは、大ヒットを記録した劇場版第2弾『岸辺露伴は動かない 懺悔室』です。
『ルーヴルへ行く』に続く今作は、なんと全編イタリア・ヴェネツィアでのオールロケを敢行! 原作漫画の原点であり屈指の人気を誇る「懺悔室」をベースに、映画オリジナルの要素やドラマ版でお馴染みのテンポ感が融合した、極上のサスペンス・ホラーに仕上がっています。
映画概要
基本情報
| 公開年 | 2025年 |
| 原作 | 荒木飛呂彦『岸辺露伴は動かない 懺悔室』 |
| 監督 | 渡辺一貴 |
| 脚本 | 小林靖子 |
| 音楽 | 菊地成孔 / 新音楽制作工房 |
| 主演 | 高橋一生(岸部露伴 役) |
| 共演 | 飯豊まりえ、井浦新、玉城ティナ、戸次重幸、大東駿介 |
| ロケ地 | イタリア・ヴェネツィア(邦画初の全編オールロケ) |
あらすじ
ヴェネツィアの大学での講演会のためイタリアを訪れた漫画家・岸部露伴。彼は街で手作りの仮面(ヴェネツィアマスク)を作る職人・マリアと出会い、クリエイターとして意気投合する。
その後、ふらりと入った古い教会で誤って「懺悔室」の神父側に身を隠した露伴は、仮面をかぶった怪しい男(田宮)の告白を聞くことになる。
男が語ったのは、かつて浮浪者を死に追いやったことでかけられた「幸せの絶頂に達した瞬間、最大の絶望(呪い)が襲いかかる」という恐ろしい体験談だった。男の告白に興味を抱いた露伴は「ヘブンズ・ドアー」で真相に迫ろうとするが、やがて露伴自身もその「幸福になる呪い」の連鎖に巻き込まれていくのだった——。
予告映像
感想&考察
感想
原作『懺悔室』が持つ奇妙で不気味な恐怖をベースにしながら、今回の映画版は単なる短編の映像化にとどまらず、一本の重厚なサスペンス映画として見事な昇華を遂げていた。長年愛されてきた実写シリーズの到達点としても、極めて完成度の高い一作だと感じさせる。
原作における露伴は、教会の懺悔室で誤って他人の恐ろしい告白を聞いてしまう「ただの傍観者」に過ぎなかった。しかし本作では、知的好奇心から他人の記憶を覗いた露伴自身が、当事者として抗えぬ呪いの連鎖に巻き込まれていくという大胆なストーリー構成が採用されている。この改変が実に秀逸だ。どんな危険が迫ろうとも「リアリティの追求」や探求心を決して止められない露伴の性(さが)がより色濃く浮き彫りになり、一度自分に災厄が振りかかれば徹底的にそれを排除しようとする冷徹な執念と美学が、物語全体を強烈に牽引していく。
当事者となった露伴の選択と知略が、原作とは一線を画すオリジナルのラストシーンへと結実していく展開は実にスリリングで、最後まで観客を飽きさせない。そして、そのクライマックスへと向かう佳境において特に圧巻だったのが、「ポップコーン」をめぐる狂気と緊張感の描写だ。
命をかけたゲームとして描かれるポップコーンを空中へ高く投げ上げるシークエンスは、スクリーン越しにも息をのむほどの切迫感に満ちていた。風の煽りや不確定な要素、そして一瞬の油断すら許されない絶望的な状況下で、登場人物の狂気と必死さが極限まで高まっていく。シュールとも取れそうな行為でありながら、映像表現とキャスト陣の鬼気迫る演じる熱量によって、息詰まる緊迫したドラマへと変貌していた。まさに映画の佳境を飾るにふさわしい、屈指の名シーンであったと言える。
ヴェネツィアの美しくもどこか陰鬱なロケーションと重厚な音楽、そして怪異をめぐる知的攻防が見事に調和した本作。原作への敬意を払いつつも、映画だからこそ描くことができたドラマ性と圧倒的な没入感に、観終わったあとも深い余韻が残る傑作だった。
小ネタ
現地ヴェネツィアでの極寒ロケと「水」の苦労
- 水に浸かる狂気のシーン: 映画後半、水に浸かりながら繰り広げられる過酷なクライマックスシーンは、冬のヴェネツィアで撮影されました。水温が非常に低い中、高橋一生さんや井浦新さんらは長時間水に入り続けて撮影に挑んだという壮絶なエピソードがあります。
- アクア・アルタ(高潮)との戦い: ヴェネツィア名物の高潮現象(アクア・アルタ)によって街の一部が水没するタイミングを見極めながら撮影スケジュールが組まれ、街そのものが持つ特有の陰鬱さと美しさがリアルに画面に収められています。
ポップコーンの「キャッチ」は本物のCGなし?
- 大東駿介の地道な特訓: 劇中で命懸けのゲームとして行われる「ポップコーンを高く放り投げて口で受け止める」撮影。実はCGに頼らず、大東駿介さん本人が実際に何度も投げてキャッチする練習を重ねて撮影に臨みました。
- 風とハトとの戦い: サン・マルコ広場など屋外での撮影では、風でポップコーンが流されたり、ヴェネツィア名物の大量のハトが飛んできて横取りしようとしたりと、まさに劇中の「呪い」さながらの難易度の中で撮影が行われました。
衣装と小道具に隠された「荒木飛呂彦イズム」
- 露伴のヴェネツィア衣装: ドラマ版でもおなじみの衣装デザイン・人物デザイン監修の辻が花(ツジガハナ)氏による衣装は、イタリアのロココ調やゴシック建築を意識して新調されたもの。露伴のペン先モチーフのヘアバンドも、現地ロケの光に映える仕様になっています。
- 「ヘブンズ・ドアー」で開くページのデザイン: 露伴の能力で人の顔が本になった際、書かれている文字のフォントやページの黄ばみ具合、紙の質感などは、登場人物の年齢や性格、人生の複雑さによって一冊一冊すべて手作業でデザインを変えて作られています。
高橋一生と渡辺一貴監督の「ノンストレスな信頼関係」
- あえて「言葉にしない」現場: ドラマシリーズ初期からタッグを組む渡辺一貴監督と高橋一生さんは、現場で細かな演技指導や打ち合わせをほとんどしないことで有名です。高橋さんが提示する露伴の立ち振る舞いに対して、監督が「そう来たか」とカメラワークで応えるという、長年の絆による息の合ったセッションで撮影が進められました。
カメオ出演や現地エキストラのリアクション
現地の人々のリアルな反応: 露伴の奇抜なファッションや、広場で突如ポップコーンを空高く投げて狂気的に叫ぶ男の撮影中、通りがかった本物の観光客や地元住民たちが「何事だ」と本気で困惑・注目しているリアルな表情が、そのままバックの背景に活かされているカットがあります。
考察
映画『岸辺露伴は動かない 懺悔室』において、非常に興味深く、観終わった後も思考を巡らせたくなる謎がある。
「もし露伴にかけられた『幸運に襲われる呪い』が成就し、彼が幸福の絶頂に達したとしたら、一体どんな不幸が彼を襲うのか?」
そしてそもそも、「呪いの存在を知っている当事者が、襲い来る幸運に対して『幸福の絶頂』だと感じることなど本当にあるのだろうか?」という疑問だ。
幸福と不幸を決めるのは「呪い」ではなく「当事者の心」
作中において、「幸福の絶頂」と「最大の絶望」の定義を解き明かす大きなヒントとなったのが、物語佳境の結婚式場での展開だ。結婚式という「幸福の終着点」に見えた場所で、実際には仕掛けられたフェイク(絶望に見せかけた演技)によって呪いの発動が揺らぐ場面が描かれた。
このことからわかるのは、何が絶頂であり、何が絶望であるかを定義するのは外的な事象ではなく、あくまで「呪いを受けた当事者本人がどう感じているか(主観)」であるという点だ。
いくら周囲から見て「恵まれた幸運」が怒涛のように押し寄せてきたとしても、当事者がそれを幸せだと認識しなければ、呪いは「絶頂」としてカウントしない。
実際、一時的に幸運の呪いにかかった露伴は、次々と舞い込む小さなラッキーや好条件に対して、ほとんど関心を示さず冷ややかにあしらっていた。露伴自身が言ったように、「最大の不幸とは自身の死ではなく、最愛の人の死である」など、人によって何が幸運で何が不幸かの答えはひとつではないのだ。
露伴にとっての「最大の不幸」と「幸福の絶頂の条件」
では、岸辺露伴という男にとっての「最大の不幸」とは何か。 これについては、「漫画が描けなくなること(リアリティを追求する執念を奪われること)」と言ってよいだろう。彼にとって死以上の絶望とは、己の表現手段と漫画家としての生を奪われることに他ならない。
ならば、その「最大の不幸」を引き起こすトリガーとなる「露伴が感じる幸福の絶頂」とは一体何なのだろうか。
作中でも触れられていた通り、漫画に関連する幸運(コミックスの大ヒット、賞の受賞、取材の成功など)では、露伴は決して「幸福の絶頂」を体感しない。なぜなら、それが「呪いによる出来レースの幸運」だと知っているからだ。己の実力とリアリティの追求によって勝ち取ったものではない幸運に、プライドの高い彼が心から歓喜することなどあり得ない。
そう考えると、露伴が思わず「幸福だ」と感じてしまう要件は、「漫画とは全く無関係な日常の文脈」に潜んでいる可能性がある。
(※ここからはあくまで作品を越えたファンとしてのメタ的な考察・妄想の域を出ないが)たとえば原作『ジョジョの奇妙な冒険 第4部』の文脈で考えるならば、彼が日頃から忌み嫌い、ストレスの元凶としている「東方仗助との関わりが完全に途絶え、平和な日常が訪れること」などが、ふと彼に「ああ、清々した、幸せだ」と感じさせる瞬間なのかもしれない。もっとも、それが彼にとって「人生最大の幸福か」と言われると疑問は残るが、漫画以外で彼の心が解けほぐれる一瞬という意味では、絶妙なラインと言えるだろう。
【もうひとつの説】露伴を襲う「絶頂」は『最高のリアリティ』に出会った瞬間である
ここで、もうひとつの説を提示してみたい。 露伴が漫画の成功(売上や名声)には一切なびかないとしても、「漫画の『ネタ(リアリティ)』との遭遇」に関してはどうだろうか。
彼が人生で最も強い快感と歓喜を覚えるのは、「誰も見たことがない、圧倒的で恐ろしいほどの『リアリティ(真実)』を目撃し、それを手に入れた(取材できた)瞬間」である。
もしも呪いが露伴を「幸福の絶頂」に導こうとするならば、彼に大金を買い与えるのではなく、「漫画家として喉から手が出るほど欲しい、究極の怪異や人間のドキュメント(リアリティ)」を目の前に差し出すのではないだろうか。
露伴はその圧倒的なリアリティに心を奪われ、「これだ!最高の漫画が描けるぞ!」と最高潮の歓喜(幸福の絶頂)に包まれる。 しかし、まさにその瞬間に呪いが発動する。その「最大の絶望」とは——「いま目撃した最高のリアリティを、漫画として描くための『手』や『記憶』、あるいは『命』を奪われ、作品として世に出せなくなること」。
これこそが、露伴の探求心を逆手に取った、彼にとって最も残酷で、最も「懺悔室の呪い」らしい恐ろしい結末なのではないだろうか。
作品をより楽しむために
原作『懺悔室』の特殊な立ち位置
- シリーズ第1作目という歴史: 今でこそ大人気の『岸辺露伴は動かない』シリーズですが、その第1弾として1997年に『週刊少年ジャンプ』へ特別読切掲載されたのがこの「懺悔室」です。
- 『ジョジョ』本編との時間軸: 露伴の初登場作『ジョジョの奇妙な冒険 第4部(ダイヤモンドは砕けない)』の連載終了直後に発表されたため、当時の荒木飛呂彦先生の画風やサスペンスの緊張感が最も強く残っている初期の名作です。
実写ドラマ版(NHK)との違いと「映画ならではのスケール感」
- 露伴自身の「当事者化」: 原作の露伴は基本的に「取材先で他人(仮面の男)の恐ろしい昔話を聞いた語り部」に過ぎず、事件に直接巻き込まれることはありません。しかし映画版では、好奇心で記憶を覗いたことで「露伴自身も呪いの連鎖へと巻き込まれていく」という映画ならではのドラマチックな改変がなされています。
- ドラマ版でおなじみの「露伴邸」を出る旅路: NHKドラマ版は基本的に日本国内(主に露伴の家周辺や古民家)で静かに進行する世俗的な怪異譚が中心でしたが、本作では本場のイタリア・ヴェネツィアで全編ロケを敢行。街並みや教会のゴシックな美しさと怪異の対比が、スクリーン映えする映像美を生んでいます。
シリーズ共通のキーパーソン「泉京香(飯豊まりえ)」というフィルター
- 狂気と世俗のバランサー: 『岸辺露伴は動かない』実写化シリーズが成功した最大の要因とも言われるのが、飯豊まりえさん演じる編集者・泉京香の存在です。
- 原作にはいない映画版の「清涼剤」: 原作の「懺悔室」に京香は登場しませんが、映画では彼女が同行することで、重苦しくおぞましい怪異サスペンスの中に独特のテンポ感とクスッと笑える日常感がもたらされています。「どんな恐ろしい呪いも、彼女のマイペースさの前ではどこか調子が狂ってしまう」というコントラストを楽しむのが、実写版を観る上での醍醐味です。
観賞時に注目したい「ヘブンズ・ドアー」の演出表現
- 本(ブック)化の質感: 露伴の特殊能力「ヘブンズ・ドアー」によって人の顔がページのようにめくれる演出は、CGだけでなくアナログな特殊メイクやプロップ(小道具)を絶妙に組み合わせて撮影されています。
- 書き込みの「文字」: 露伴が本に文字を書き込む(指示や安全装置を付与する)シーンでは、高橋一生さんの凄まじい筆圧やペン捌きに注目してみてください。彼の「漫画家としてのリアリティ」へのこだわりが指先まで宿っています。
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